いつのまにか、というぼやけた境界線について

新建築2003年9月号に、ヨーガンレール丸の内店の解説として掲載した文章です。インテリアデザインという対象が、建築的な批評性を獲得できるのかどうかを書こうとしていました。ヨーガンレールというブランドがもつ反骨精神や批評精神ともシンクロするはずだという思いもありました。

床、壁、天井を同じ色にして、その空間の中にいるかぎりそれらの色が色に見えないぐらいに同じ色であること。そして、移動にしたがっていつのまにか色が変化し、振りかえると元いた場所にある色が、その中にいるときとは違う様相をもって見えてしまうこと。これが、「ヨーガンレール丸の内店」で体験することである。店舗のスペースは5つに分れており、それぞれにひとつずつ色を割り当てている。そして全部で6つある空間と色の境界線を丁寧にぼかしている。またすべての塗装面はローラーやエアガンなどの一般的な施工方法ではなく、布に染み込ませた絵の具をひたすら壁と床にすり込んでいく作業で行った。できたものは、立体感があいまいで、色が光に見えたり、塗装のムラはスエードのテクスチャーに見えたりする、とても不思議な空間だ。

ショップインテリアは建築とまったく違う密度感をもっている。空間のあらゆる場所や部分が、夢のような世界をつくり上げるものとしてあって、そうしたものがリースラインの中にぎゅうぎゅうに押し込められている。そうではないものもたまにはあるけれど、たいていは暑苦しいほどにイメージが集中的に投下されている。だから、たくさんのショップが集まる地域やデパートに行くと、万華鏡のようにきらびやかであると共に、総体としてみるとかなりグロテスクな風景になっている。丸の内の仲通りはまだショップは少ないけれど、現在いろいろなブランドの誘致が進んでいて、現にあらゆるところで内装工事が行われている。「ヨーガンレール丸の内店」もそうしたブランドショップの進出のひとつだ。だから、想定する周辺環境は現在の風景ではなく、2〜3年後に(いや、もっと早いか)建ち現れるはずのショッピング街である。つまり、同じ体裁のビルディングが建ち並ぶという独特な丸の内の光景の中に、濃い密度のインテリアがモザイク状に集合してスーパーインポーズされているというものだ。そうした中でデザインをすることはとても難しい。なぜなら、どのような精巧な物語を表現したとしても、結局はたくさん提供されているフィクショナルな空間のひとつになってしまう可能性があるのだから。なのでここでは、ことさらに物語やイメージをねつ造するようなデザインをやめることにした。

プランニングにはとても簡単なルールが適用されている。壁厚を感じる部分をできるだけ出さないようにするためと、柱を隠すこと、そして区画の複雑なかたちをカバーするために、千鳥格子のパターンをリースライン内に展開している。そうして得られたプランを鉛筆の薄い下書きのようなものとみなして、先ほど述べたような着色を施していった。色はブランドのデザイナーであるヨーガン・レールさんと松浦秀昭さんと共に決定した。というより、色に対して素人同然の私たちを見かねて、決定してくださったといったほうが正確なのだが。そして着色の方法は、特殊塗装を専門とする中村修平さんに意見を聞きながら、100枚以上のサンプルをつくりつつ決定していった。壁の肌合いで参照されたのは奈良美智さんが描く小さな女の子のほっぺたのあたりにみられる、非常にこまやかな色の移り変わりである。さらに照明器具は、空間の物理的なエッジを強調しないように陰影をできるだけださない位置に配置している。このようにして、絵画的なマチエールをもつ色がぼんやりと浮かんでいるような空間を目指していったのである。

書いた線を上からたんねんに塗りつぶながら消していくこと、行われた行為をまとめるならばこのようにいえるだろう。このような行為を通して、空間に付属している物理的な情報を希釈しようと考えた。あるべき部分にコーナーがない、色の境界も見えない、こうしたディテールが積み重ねられた上でつくられていく空間は、わずかに日常から逸脱した感覚をあたえているように思う。軽い酔いにも似たふわふわした浮遊感、そうした感覚をいつのまにか感じているような、そのぐらいにささいな変化だ。こうしたことを試みようと思ったのは、区画内だけにイメージを閉じこめてしまうという、インテリアのデザインに固有な閉塞感をどうしても取り払いたいと思ったからである。ドアやウィンドウの向こうにあからさまに異質な空間が提供されているのではなく、色の美しさ以外に日常とあまり差がないぐらいの静かな表現であることで、リースラインという境界線をあいまいにしたいと思ったのである。だけど、そうした空間が少しずついつのまにか違って見えてくることで、店舗に求められる日常とは違った空間体験を作り出したいと考えた。つまりフィクションをねつ造することではなく、日常がするりとフィクションにすりかわってしまうことができれば、と思ったのである。

ちなみにこの、いつのまにか、という感覚を私たちは日々体験している。たとえば本に没頭してしまい、本が目の前にない場合でも、その物語の空間が頭の中を占めてしまっているようなとき、そうした時間はいつのまにか訪れている(このことを非常に正確に描いていると思うのは、高野文子さんの『黄色い本—ジャック・チボーという名の友人』だ)。そうした、ささいなのだけど至福ともいえる感覚をつくり出したかったのかもしれない。

初出
新建築2003年9月号

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